梅の里みなべ町
梅で有名な「みなべ町」ですが、この町で梅の栽培が始まったのは約1,300年前に、この地域一帯を支配していた「御名部(みなべ)内親王が梅を好んで植栽し、それが元になり、梅栽培が始まったという言い伝えが残っています。
その後の経緯は「梅の歴史」でも記載しましたが、江戸時代に、のちの八代将軍となる紀州藩主であった徳川吉宗が梅干の保存を奨励し、さらに栽培が盛んになりました。
その頃の江戸時代から約300年が経過し、現在の「みなべ町」は「旧南部町」と「旧南部川村」が合併した町となり、今や高級ブランドとなった「紀州南高梅」は「みなべ町」だけでなく、「和歌山県」の重要な産業となっています。
最近では、試験場や大学などの9つの機関と共同開発を実施していて、梅の中に含まれるさまざまな成分には、さまざまな働きがあることが解明され、医学的にもその効果が証明されています。
「みなべ町」は。さらにブランド力を高めようと各農家や販売店、「みなべ町」が一体となって新製品の開発や梅干の販売促進に力を入れています。
参考までに、最近の研究によると、梅干を毎日1個〜2個食べることで、健康の維持増進が図れることが期待できるそうです。